3日、3か月、3年

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この数字は何の数字かご存じだろうか?そう、言わずと知れた、外国語を習得するときの、到達レベルと学習期間の関係である。あくまでも一種の統計上の数字であり、絶対的なものではないので、ご注意頂きたい。
  「10歳ぐらいまでなら3日あれば慣れる。20歳ぐらいなら3カ月あれば堪能になれる。30歳ぐらいなら3年あれば慣れる。40歳を過ぎると何年やっても駄目だ。」(ダメというのは、レベルの問題であって、外国語はちょっとでもいいから勉強するに越したことはない。分かると分からないとでは天と地の開きがある。これは私の半世紀以上の苦い経験から言える確かなことだ)
  この年齢と外国語の習得レベルの相関関係は確かに言えるのかも知れない。母語の母斑というのは、なかなか取れないものだ。われわれ日本人にしみついた言葉の母斑ではなく、お尻の青いあざは20前後には大体なくなるもので、これは人間の成長とある関係があるのかも知れない。最近30になっても、40になってもこの蒙古班が取れない人がいて困った現象が生じているようである。犯罪でも、「何だこの甘えは」と思わせるものが多すぎるのではないだろうか?
  わが大学の学生たちも、なんだこれはと思わせるのがいる。最も私は彼らの過去を知らないので、あくまでも「現代学生考」という観点からこれを書いている。
  さて、人間の未熟さの話はさておき、(あんまりこれを書くと、「天に向かってつばを吐く」なんて汚いことになるので・・)本来の言葉の話に戻そう。
  こちらに来て日本語を学生たちに教え始めて3か月。学生たちも同じことが言えて、「日本からわけの分からんおっさん教師が来て、訳の分からん中国語を時折交えて話すものだから、余計に分からんようになる」日本語を習い始めて3か月。
  とはいえ、時の経過とは恐ろしいもので、学生たちの間にも歴然とした学習履歴の差が表れ始めている。よく出来る学生は、授業の内容はほぼ完ぺきに理解し、聞き取りに少し難があるものの、簡単な文章なら漢字も交えて、ほぼ完ぺきに近い日本語を書く。
  一方、教室で涎を教科書に垂らしながら熟睡している学生は、今だに平仮名も覚えていなくて、五十音表を手放せないにもかかわらず、その使い方も分かっていないことになる。
  この前、後ろ方の席に座っている学生に、「君は一時間半何も書かず、何も言わず、ただ座っているだけなのは苦痛だろう。何のために来ているのか」と聞くと、ズバリ「先生、私は卒業したらいい仕事に就きたいと考えているんやけど、このクラスにいるのは有利になるんと違いまっか・・。」とのたまう。
  言葉の習得には動機が重要で、いかに動機づけをするのかが教師の最大の課題ではないか。  海外で街を歩いていると、「社長!」と声をかけてくるのは、まず間違いなしにポン引きで、「いい子がいまっせ!」と流暢な日本語がそれに続く。彼らの語学習得期間はおそらくこの辺りの会話に1週間もかけないのではないだろうか。彼らも生きるために必死に日本語を習うだろうし、教える方も一日も早く馬鹿な日本人をうまく釣りあげてこさせるように仕込むのに必死であろう。 
  このように動機さえあればと歯がゆい気持ちになる。
  私の担当するクラスの一つはアニメのクラスだ。彼らのうち男子学生は本当に勉強しない。あんまり勉強しないので、君たち、少し教科書の中の会話を漫画にしてくれというと喜々として漫画を書く。そしてアニメのクラスというだけあり、そこそこ結構な漫画を書く。彼らがこれだけの力を持っているなら、この上に日本語(何語でもいい)の能力を付ければ、大変な武器を手にすることができるのだが・・。

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このページは、揚州が2008年11月29日 00:05に書いたブログ記事です。

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